まるでシャボン日記

アラフィフぼっち女の悲喜こもごも

アラフィフ、同級生の豪邸に思う

友人が鎌倉に家を建てたという。

送られてきた写真には、海の見える豪邸が写っていた。

わお、本当に美しい家で素敵だった。

私のセカンドハウスは築30年の木造アパートだというのに、なんだろうこの格差は!笑

 

彼女は、私たち10人くらいの大学時代の仲間の中でも、20代の早くに結婚した。

夫は同級生のエリートサラリーマンで、若い時は海外赴任や転勤も多かったけれど、彼女は文句も言わずについていき、それなりにその土地を楽しみながら、子育てと主婦業をこなしていたようだった。

 

私たち仲間は、誕生日だなんだかんだと2ヶ月に一度くらいの頻度で会っていたのだけれど、結婚してからは、彼女はほとんど集まりには参加しなかった。

できなかったという方が正しいかもしれない。

夫はいわゆる亭主関白な方だったと思う。子どもが手を離れるまでは仕事をしなかったし、夜出かけることもほとんどしなかった。

夫の希望でもあったと思うが、彼女自身もそうするのが自然だと思っていたのだと思う。

子どもたちが成人してから、彼女は事務のパートに出るようになった。その頃から、夜の集まりにも時々顔を出すようになった。

子どもたち2人はすでに家を出て、しばらく単身赴任だった夫も本社勤務になった。

そして、鎌倉の一等地に、海の見える家を買ったのだった。

 

友人たちは一様に、彼女を「一番順調な人」と言ったし、「勝ち組」と言った。

確かに、そうなんだろうと思う。

 

私は、それで、自分にはそういう「勝ち組」人生はあり得なかったのだろうかと考えてみる。

一体、どこでどうすれば、彼女のような人生が歩めたのだろうか?

若い時に、エリート男性と結婚しておけば、あんな人生が送れたのだろうか?

羨ましくない、と言ったら嘘になりそうだ。

 

ところで、羨ましいのは何故なんだろう?

とよくよく考えたところ、羨ましいのは、鎌倉の豪邸だな、と思い当たる。

自分が彼女と同じ人生を歩むことは多分、どこでどんな分岐点があったとしても、できなかっただろう。

それは、彼女の夢であり、生き方であり、私のそれではないからだ。

でも、ついの棲家にあんな素晴らしい家を手に入れられたことは心から羨ましい。

「アリとキリギリス」で言ったら、彼女がアリで、キリギリスが私だったのだろう。

(けど、まあ、私は仕事しまくったから、キリギリスとも言えない、、、すんごい仕事したのに何も残らなかったキリギリスって??最悪すぎる笑)

 

それにしても、アラフィフになってみると、いろんな人生があるな、と思う。

大学時代は、なんとなく、みんないつかは結婚して主婦になるのかな?と思っていた世代だけれど、蓋を開けてみたら、本当に絵に描いた「主婦」をやったのは、その彼女くらいかもしれない。

私も含めて離婚経験者もいるし、実は半分くらいは独身だったりする。

いわゆる「順調」な人は、30パーセント(私調べ)くらいなのかな、と言う感じ。

まだまだ子どもが小さい人もいて、これからだってどうなるかわからない。

今になって、いきなり結婚や再婚、離婚をする人だっているかもしれない。

 

それにしても、若い頃は、それでもやっぱり人の境遇が羨ましくて、「私にはどうしてエリートの彼氏がいないの!」とか「なんであの子が幸せそうなの?」とか・・・笑

まあ、やさぐれたりしたし、女子会の話題も、誰が一番幸せか(女として)みたいな話が多かったようにも思う。

 

けど、もう全部一通り見てくると、何か幸せかはわからないし、自分の人生にも納得感が出てくるから、人のことがどうでもよくなる。

むしろ、介護の悩みや、中年の孤独感など、お互いを慰め合いながら、励ましあうことが多くなった。

大人女子の互助会は最高。おばさんブラボーだ。

 

鎌倉の彼女の家には、やっぱり夫の許可がなかなか出なくて、まだ遊びには行けていない。

私のセカンドハウスはボロいけど気兼ねはないから、いつでもみんなに遊びに来てもらいたい。

だから、やっぱり人にはいろんな役割があるんだと思うのだ。

 

「女は、自分のできなかったことをやった女が嫌いなのよ」

というのは、井上由美子先生のドラマ「昼顔」のセリフ。

何かを犠牲にするしかないのが、女の人生なのか。

専業主婦かキャリアウーマンか。

そんな2択しかないのは、理不尽だとは思う。

 

けど、そんな人生の結果(?)を持ち寄りながら、友情がまた結実するのも女子の醍醐味だな、とも思う。

早くコロナが落ち着いて、またみんなで集まって語り合いたい。

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鎌倉の海

あの山の向こうに彼女の豪邸が。

夫がいないときに呼んでくれるそう。待ってるよ。

 

 

アラフィフ、柳美里さんの話題の書を読む

この夏は、柳美里さんの山手線シリーズを読んでいる。

 

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柳美里さんの山手線シリーズ

 

『JR上野駅公園口』は、全米図書賞をとった話題の書だ。

平成天皇と同じ年に、福島で生まれ、高度成長期に出稼ぎをしながら生きてきたけれど、悲しい出来事が積み重なり、東日本大震災を経て、ついに、上野公園でホームレスとなった男の話だ。

 

柳美里さんは、上野の路上生活者の方たちに取材するなどして、綿密に人物像を作り上げている。

その主人公を通して、路上に生きる人たちの「生い立ち」や「状況」、こうなった「理由」や今の「心の内」が、私たちの前にくっきりと浮き立ってくる。

その人の一つの人生として。

 

彼らは、公園から、執拗に追い出される。

ダンボールの家も失って、雨の中をさまよう時の、寒さ、情けなさ、恐怖、諦め、無気力・・・

行き場のないことの悲惨さが、これでもかと描かれていく。

重く、悲しい作品だけれど、私たちが見落としている人を、見て見ぬ振りをしている存在があることを教えてくれる。

それも、外側からの視点ではなく、人物の内側から教えてくれる。

これこそが、小説の醍醐味というものだと思わされる。

そして、小説家の目は、ひたすら優しく寄り添っている。

心を揺さぶられる作品だった。

 

山手線シリーズは、この他に、品川、五反田、高田馬場、と、それぞれ違う駅の違う主人公による連作だ。

今読み終わったのは、『JR品川高輪口』

こちらはまた変わって、女子高生が主人公。

彼女は、ネット掲示板の自殺スレのスレ主で、集団自殺を呼びかけている。

出版時には『自殺の国』というタイトルだったが、この度の受賞により、原題に戻しての文庫化となったそう。

(出版社というやつは、現金なのです・・・本当に申し訳ない)。

 

よくネットでは、自殺をしようと思いつめるような女性のことを「メンヘラ女」などと呼ぶ。

けれど、彼女の視点からみれば、「メンヘラ」という一括りの呼称では収まりきれない、「事情」がある。

確かに、心が弱い、といってしまえばそれまでだ。

けれど、そう言える人は、心が折れることのない環境にいただけということもある。

それは単なるラッキーだ。しかもそのラッキーだって、「今のところ」だ。

いつ自分にも、アンラッキーは降りかかるかわからない。

アンラッキーを、まるで自己責任のようにいうのは、神でもない限り無理なのではないだろうか。

 

若い頃は、柳美里さんは自分自身と向き合って、自分の体験と心をさらけ出し、えぐるような作品を書かれていたけれど、今は、自分じゃない誰かの心を、まるで自分のことのように深く分け入って知ろうとするスタイルで書いているのだなと感じた。

ヒリヒリと痛くて重苦しい作品であることには変わりないけど、読後感は少し変わって、柳さんは本当に優しい人なんだな、とどこかホッとするようなものになっていたように思う。

 

さて、ちなみに某メンタリストさんが炎上しているという。

彼が、この山手線シリーズを読んでくれたらな。

わかってもらえるだろうか。

 

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アラフィフ、更年期に立ち向かう3

更年期障害のホットフラッシュがひどすぎて、飲み薬のホルモン剤を3年やったのち、生理から解放されたくて貼り薬に切り替えた話を少し前に書いた。

 

本当に、切実に、もう生理から解放されたかったのだが・・・

結論から言うと、ダメだった・・・

 

パッチにしても、不正出血があるかもしれないとお医者さんには言われていた。

まあ、不正出血くらいなら、と高をくくっていたところ・・・

思いっきり、ほぼ普通の生理というくらいの出血が1週間後には始まり、

その後も止まらずに、2週間だらだらと出血が続くという最悪の結果に・・・

がっかりにもほどがある・・・

 

どよ~んな気持ちで婦人科へ向かい、先生に、「ダメでした」と言ったところ・・・

 

先生「え? 効かなかった?」

私「もうずっと出血が続いてしまって」

先生「ああ、出血ね。じゃなくて、ホットフラッシュは?」

 

あ、そうだった。忘れていた。

第一義的には、更年期障害の解消だった。

 

私「あ、ああ、あの、ホットフラッシュは治まってます(汗)」

 

先生いわく、やっぱりまだ50歳前後だと、出血はあるもの、なのだそう。

 

先生「貼り方を変えて、生理が定期的に来る方法にしましょう」

 

ということで、1カ月のうち1週間、パッチを貼らない期間を作り、生理の期間を作る方法に変えることになった。

まあ、だらだら出血するよりはいいか・・・

なかなか道は険しい・・・

 

とにかく、もう少し生理とはお付き合いしなければならないみたいだ。

もうひとがんばり、ってとこですかな。

 

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メゾンドショコラ六本木ヒルズにて

今、食事もお酒もダメだから、せめて最高級チョコレートを。

自分を甘やかすことも、たまには、ね。

癒されます。

 

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アラフィフ、セカンドハウスに初宿泊

海辺にセカンドハウスを借りて早1か月。

先日書いた通り、母があまりいい顔をしないこともあって、未だに泊まったことがなかった。

 

が、暑い夏の日、海辺でのんびりしたくて、ついに泊まることにした。

結論から言うと、すごくリフレッシュできた。

やっぱり海辺ライフは良き。

 

まずは昼に鎌倉駅に着いたところで、人気のお蕎麦さん「こ寿々」へ。

こ寿々さんのお蕎麦はすき通った細麺で、つるっとした喉ごしが魅力。

 

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鎌倉名物「こ寿々蕎麦」

店名がついた定番メニューは、ぶっかけの冷やし蕎麦。

三つ葉や柚が効いていて、すっきり爽やかなお味。

とても上品でおしゃれな味です。

 

さらには、名物のわらび餅も注文必須。

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鎌倉名物の「わらび餅」

こちらはおもちのようにねっとり。

きなこと黒蜜の香りがしっかりしていて、こくがあって大満足。

こちらだけを召し上がる女子たちもたくさんいるし、お土産も大人気。

 

そして、夕方訪れた由比ヶ浜の海。

 

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海風ってこんなに涼しいんだなあ。

まだ熱い砂浜に座っていると、温泉に入っているかのような、岩盤浴しているかのような心地良さ。

海が空気を冷却してくれるのでしょうね。

ぼんやりサーファーを眺めながら夕涼み。至福の時。

 

天然のクーラーを浴びた後は、家に帰って晩酌。

こちらもいつも行列のできているお惣菜屋さん「REPAS」でつまみを入手。

 

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三種盛りで750円

 

お惣菜っていうより、デリって言った方がいいかな。

スパイスの効いた煮込みや、組み合わせがしゃれてるサラダなどがズラリと並ぶ中からチョイスできる。

下手なデパ地下よりず〜〜〜っと美味。

なので、6時ごろにはもう品数が少なくなる。

地元食材が多いし、なくなったら終わりというスタイルもサステナブルで、とっても感じのいいお店。

(でも、インスタグラムを見ると、オーナーチェンジになるようです)

 

部屋にはテレビを入れずに、

ポップインアラジンというプロジェクターを導入した。

アマゾンプライムNetflixの視聴が可能。

大画面で映画を観たり、本を読んだりと、ゆったり時間が過ごせた。

本当にのんびり時間が過ぎていく。

こういう時間が欲しかったんだなあ、私。

 

そして、初めての夜は、実はあまり寝られず。

なんだか家がパキパキ音を立てる。

古い木造だからかな。

そういえば昼間もわりとパキパキいってるかも。

怖いというより、気になってしまって。

なれるしかないか。ちょっと予想外の難点。

 

とはいえ、うつらうつらして、朝は8時には行動開始。

(本当はもっと早く活動し始めるつもりだったけど寝不足で)

美味しい朝ごはんを求めてでかけていった。

 

長くなったので、その話はまた!

 

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追記:アラフィフ、フェミニストになる。笛美「ぜんぶ運命だったんかい」を読んで

一つ前の記事、著者ご本人様からリツイートしていただいたこともあり、自分ブログ史上最高に読んでいただきました。

つたない感想でお恥ずかしいけど、嬉しいです。

 

ところで、Amazonをみると、この本のレビュー、荒れているのですね、、、ビックリしました。

そうなんですね、私なんか共感しかなかったですけどね、、、。

 

レビューには、「いいわけばっかり」「人のせいにしてばっかり」というお叱りが多いようだ。あとは、「恵まれたエリートですよね」というもの。

 

そういえば、私も、リアルで笛美さんのような話をすると、叱られることが多かったように思う。

 

コロナ前に会った友人には、罵倒すらされた。

彼女は、ある新聞社系出版社のもはやお偉いさん。

飲んだ時に、「仕事がうまくいってるみたいでよかったね」と彼女に言われ、私は

「仕事をいくら頑張っても、成果が出ても、いつまでたっても私は幸せじゃない。

これ以上どう頑張ったら幸せな気持ちになれるのかわからないし、もう子どももできないし、彼氏だっていないし、これ以上生きてる意味ない気がする。

いや、もうむしろ死にたいかも」

と、思わず吐露したのだった。友達だと思っていたから。

 

すると、いきなりマジギレされた。

「あのねえ、私だって今は結婚してるけど、いつ離婚するかなんてわかんないんだよ」

「あんたみたいに恵まれた環境で働いている人いないよ」

「ボランティアでもなんでも、いくらでもやることあるでしょ」

「もっと世の中に目を向けて。苦しんでいる人はいくらでもいる」

「あんたは自分のことしか考えてない」

「子どもかっ」

 

いや、真っ当だとは思うよ。

だけど、そんなことは全部わかってるんですよ。

わかってて、言ってるんです。

わかってて、それでも苦しんだよお。

 

その夜は、「そうだよね、そうだね、もっと頑張るよ」と棒読みに返事をして、タクシーで帰るのが精一杯だった。

 

あとでこの話を共通の知人に話したら、

「なんであんな勝ち組にそんな話するのよ。理解できるわけないじゃん」

と一蹴された。

 

そうなのだ。

彼女はザ・勝ち組なのだ。

そう、この男社会の中でサバイブした勝ち組。

 

男性ばかりの新聞社系の会社で、おじさん上司を、裏では「使えない」とののしりながらも手玉に取り、酒好きを口実にデートめいたこともしながら、男社会を渡り歩いている。

家柄の良い男と結婚して、夫の前では「天然ボケな私」と化して甘える。かと思えば、正月ともなれば、彼の実家へいの一番に駆けつけてエプロンをつけ、親戚の誰よりもきっちり働いてみせる。義実家では嫁の鏡だと思われているらしい。

子どもは作らないと宣言しているけれど、夫には納得させている(子どもだけは無理、という判断だったのかな?)。

そして、彼女には、いつだって彼氏がいて、時々会っては精神の安定を保ってくれていると言う・・・。

 

全てを成立させる、彼女の努力はすざまじい。

自分が手にしたいものを全て手に入れるには、ここまでしないといけないのですね。

そりゃ、甘ったれに見えるでしょうね、私なんざ。

 

けど、ここまでやらないと勝てないゲームってなに?

 

例えば、男より強い女というのももちろんいる。

オリンピックの重量挙げの女子選手は、一般の男性よりも重いものを持てるだろう。

だけど、努力さえすれば、全ての女性が男性並みに重いものを持てるようになれるというわけではない。

(ちなみに先の彼女は、女も男よりも強くなれる、オリンピックも男女分けなくていい、そのうち男も出産するようになる、とも言っていた・・・まじ?)

 

つまり、男社会で女も欲しいものを手に入れることは可能だけど、そこには、才能も力量も、そして努力も、人並みはずれたものが必要になる、ってことなのだ。

 

それが、男女差別でなくてなんなんだ?

 

男が普通に手にできるものを、女はその何十倍もの努力をしないと手に入れることができない。

そのことに、うんざりして疲弊する。

 

努力が足りないと言われるけど、本当にそうなんだろうか?

わかってもらうのは、なかなか難しいことだし、

自分でも、どこまで努力したものなのか、わからなくなる。

(やっぱり重量挙げの選手にはなれないと思うんです・・・)。

でもって、努力したらしたで、「エリートだよね」とか言われてしまうなら、

ますますわからない。

もっと強くなるべきなの? それとももっと弱くなるべきなの?

 

悲鳴をあげてもいいですか? 

と、私は言いたいし、それが私のフェミニズム宣言なのかもしれない。

 

最近、買ってよかったもの。

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NIKE エアフォース1


ヒールを履かなくても良くなったのは、いい時代だ♪

 

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アラフィフ、フェミニストになる。笛美「ぜんぶ運命だったんかい」を読んだ

暑すぎる日、クーラーの効いた部屋で一気読みしてしまった。

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笛美「ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生」

うなずきすぎて首がもげそうになった。

笛美さんは、私より多分15歳くらい年下の方だと思うのだけど、メディア系の職種ということもあって、ほぼほぼ私と同じ経験をしていた。

 

もちろん私は、笛美さんほどエリートではない。

けど、そこそこ会社で出世ってやつをした。

理由は、彼女もいう通り、「男社会でがむしゃらに働いたから」でしかない。

彼氏を作らず、婚期を逃し、深夜まで働くか朝まで仕事関係の人と飲み歩き、泥酔してタクシーで帰っても咎める家族もなく、土日はぐったりと寝ているか、それでもなんとか身繕いするためにデパートで買い物するのがせめてもの気晴らし・・・。

(渋谷でキャッチのお兄さんに「休日は一人でショッピングが楽しみって感じ?」と憐れまれ、キーッとなったのを今でも覚えている)。

 

ちなみに、私は途中で一度結婚したが(とにかく焦っていた)、上記のような生活をほとんど変えなかったことにより離婚にいたった。

果ては実家に出戻り、母という専業主婦を得たことにより、私はより一層、仕事ばかりできる/するはめになった。

そうなれば、こっちのもの(?)で、名誉男性だかなんだか知らないが、とにかく24時間働け、という男社会にはもってこいの人材になったというわけだ。

 

回りを見渡しても、数少ない出世した女性は、そのほとんどが、未婚または離婚経験者だ。

そうでなければ出世できないし、逆に言えば、そうすれば出世できる。

 

ああ、こんな社会にしてしまった先輩としての私。

本当に若い女性たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

笛美さんは言う。

 

「高学歴・高収入・広告代理店のクリエーター」

 もし私のプロフィールが男だったら、きっと多くの女性にモテて、今ごろ美人の奥さんと可愛い子供と愛人がいたんじゃないかと思います。でも、同じスペックでも性別が違えば、まったく別の運命になってしまうんです。 

 

ああ、まさに、それ!

私もずっと思ってきた。

私だって、30歳過ぎた頃には、先輩のしごきに耐え、人一倍働いたことにより、編集デスクだったか副編集長だったか、それなりの地位を得ていた。

そして、話が面白い、という理由で、男の人に遊び相手としては喜んでもらえていた気がする。(それをモテるとさえ勘違いしていた)。

けど、こと結婚となると、私にその価値はなかった。

私には夫も子どももできない。家族を作ることはできない人材。

こんなに頑張ったのに、なんで女だと家庭に恵まれなくなってしまうの?

男なら、頑張れば、女や子どもは後からついてくるのに。(もちろん、みんながそうじゃないし、病気とか事故とかいろんなことはあったとしても)。

 

私の場合は編集者なので、女性も多い職場だし変人も多いし、独身者や離婚経験者もわりと生きやすい業界ではある。

けど、それでもやはり、男の編集者は、どんなに仕事しないおっちゃんにもだいたい妻がいて、家事と子育てを担ってくれている。

しかも、これは裏話だけど、編集者は浮気し放題だ。校了で朝になると言ってしまえば朝まで他の女と遊ぶことはできるし、出張も多いので、彼女と旅行なんてのも簡単だ。

しかもそれをネタに企画を出したりもできるので、それこそ浮気も仕事のうちとか言い出しかねない。

だいたいの妻は、そんな夫のことは言わないけど気づいている、らしく、そんな破天荒な彼をさえ、受け入れている、らしい・・・

 

ずるい。羨ましすぎる。

なんで、私にはそういう男がいないの?

 

ちなみに、ちょっと厄介なのは、女の編集者は編集者で、「厄介な私を受け入れてくれる夫」を持っている人もいたりする。

そうすると、そこでまた、私にはそういう男がいなーい!という劣等感を持ったりするのだ。(こうして、女の敵は女、こじらせバージョンが出来上がる)。

まあ、でも、そういう人は稀か、単純に夫を養っていてそれはそれで疲弊してたり、ダブル不倫の仮面夫婦ってことも多い。

 

それにしても、優秀な女性が潰されていくのにはいろんな形があると思った。

結婚や出産で社会から去っていってしまう人も多いけれど、

社会で活躍していても、自分が幸せになれない(結婚できない)せいで才能を伸ばせないこともあるのだ。

笛美さんも第一線から退いたとのことだったが、確かに、努力が自分自身の幸福として報われなければ、疲れてしまうのは当然だ。

そう言う潰れ方もあるのだと、暗澹たる気持ちになる。

まあ、何を隠そう、私もそうだ。惰性で仕事はしているけれど、感じるのはひたすら疲労感なのだ。

アラフィフになっても、「それでも働く意義」を彼女に説く言葉は持っていない。

根本原因は、やはり「男女差別」なのだと、私も私の経験から、心の底から理解している。

 

今までいろんな「女子論」があった。「負け犬の遠吠え」とか。

けど、まだまだ男性社会の中にどっぷり浸かった上での女の生き方考察が多かったように思う。

けど、これは「フェミニズム」の立場を明確にしているし、男女平等の道を切り開こうとしている本だった。

しかも、学問としてではなく、実体験からの考察と行動に、これも女性らしい戦い方だという気がしている。

それだけでも、少しだけ明るい気持ちになったし、私も、何もできなかった先輩として、これからできることをしていきたい。

 

とはいえ、私も、まだまだこういうことを実名で語れないところがある。

そういう世の中も変えていけたら、、と思いつつ、しがないブログに書いてみる。

 

もっとたくさんの人にぜひ読んでほしい本!

 

 

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アラフィフ、セカンドハウスはシェルターか

ステイホーム中に、母との実家暮らしにゆきづまりを感じて、湘南にセカンドハウスを借りた。

前にも書いたのだが、母との生活を維持しつつ、自分の空間と場所が欲しかったからだ。

 

しかし、そのことを、なかなか母には言い出せなかった。

家を出ていくのかと疑って、母が不安に思うだろうと思ったからだ。

けれど、いつまでも黙っていられず、とうとう白状した。

「コロナで旅行にも行かれないし、別荘が欲しくなったから、湘南に部屋を借りた」と。

出ていくわけではなく、あくまでも「別荘」だと伝えた。

 

母は、「またすぐ旅行に行けるようになるわよ。お金もったいないじゃない」と、やはりいい顔をしなかった。

基本的には、自分から離れていきそうで、不安なんだろうと思う。

 

75歳を過ぎ、一人暮らしは厳しいだろうし、不安になる気持ちはわかる。

けれど、私はやはり重いものを感じてしまった。

母を見捨てるつもりはなくても、依存されるのはやはり苦しい。

 

しばらくして、母は、「鬱っぽい」と言いはじめた。

眠れなくて、不安で、何もやる気が起きず、好きだった料理も苦痛になった、と。

 

重い。

私は、ひたすら重かった。

本来は、かわいそう、辛そう、なんとかしてあげたい、と思うべきなんだろうけれど。

それよりも、重い、と。

心底、重いと感じてしまっていた。

 

心療内科にかかっているというので、次の診察には付き添った。

医者は眠剤をくれるだけだった。

特に、認知症や鬱を疑っている風でもなかったが、不安があるということで、やや鬱傾向かもしれないね、との診断だった。

 

母は、眠剤で眠れるようにはなったようだったし、友人や親戚との電話は頻繁にして、ワクチンを打ってからはランチにも出かけるようになった。

それでも、何もする気が起きない、と言って、とにかく料理をしなくなった。

気晴らしにと、私は一緒に出かけて外でご飯を食べることが多くなった。

 

それもあって、セカンドハウスにまだ一度も泊まることができていない。

休みの日の日中はセカンドハウスに行き、家作りをしているが、夜には帰っている。

母を不安にさせないためだ。

けれど、自分のフラストレーションが溜まってきているのは否めない。

 

なんとなく、「共倒れ」という言葉が頭をよぎる。

こうして、人は、次第に追い詰まっていくのかもしれない。

 

そんな中で、同僚の女性が結婚するという話を聞いた。

私とそんなに歳は変わらない、40代の女性だ。

彼女も、母親との二人暮らしだったので、

「お母様、寂しがってない?」と聞いたところ、

「このままあなたが結婚しなかったら死んでも死にきれないって言っていたので、安心したみたいです」との返事だった。

うちとは正反対だ。

 

母親の愛ってなんなんだろう?

私は、依存されているだけで、やっぱり愛されてはいないんだろう。

 

それでも私は、おとなしく、このまま母の家で、母の介護をして、人生終わりなんだろうか。

母は、それでいいと思っているのだろうか。

 

ちょっと追い詰まっている。

なんとか負の感情にとらわれないように、セカンドハウスだけは死守しようと思っている。

セカンドハウスが、私のシェルターになるかもしれないな、と思うからだ。

 

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日暮れまで、海を見ていた

 

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