出戻りで子ナシの私は、70を過ぎた母との二人暮らしだ。
同年代の友人に「そろそろ私も介護が始まるんだろうな」と相談とも愚痴ともつかぬ心持ちを吐露したところ、「そんなの悩んだって仕方ないでしょ。その時がきたら、いい老人ホーム探すだけのこと」と言われてしまった。
確かに、結果的に老人ホームに入れるのかもしれないけれど、果たしてそんなに簡単に事務的にできるものなんだろうか、介護って。
結構一般的にも悩んでる人も多い気がするけど、そんなもんなのかな? まあ、むしろそう考えた方が気が楽にはなるのかも・・・。
とは思いつつ、やっぱり納得いかない私は、介護の実体験を読むようになった。
それで少なくとも私の場合は、やっぱりもっと厄介なんじゃないかな、と予想するに至っている。
食堂のおばちゃん作家として話題になった山口恵以子氏の介護の日々を綴った「いつでも母と」は、独身の著者が91歳でお母様を自宅で見送った日々を綴ったエッセイだ。
ー 母はもう、ダメかも知れない。昔の母には戻らないかも知れない。
いや、多分、ダメなのだ。母はこれ以上良くならない。もしかしたら、今よりもっとダメになっていくかも知れない ー
介護はそんな風に始まるんだろうという一文だ。しっかり者の母に頼ってきた娘にとっては、いつか来ると覚悟しながらも、どうかまだまだ先でありますようにと思う切ない瞬間だ。
私の母も、山口氏の母ほどではないが、仕事をしてきたし、友人の間では仕切る方で、体も動くしよく働く人で、新しい携帯やらパソコンやらにも割とついてきて遅れないタチだ。
けれど、70を過ぎてから、少しずつ新しいものへの適応力は鈍ってきたし、頼るのが嫌いなのに、私に頼ってくることも多くなってきた。私は、少しそれに「そんなことくらい自分でできるでしょ」「こっちがママにやってほしいくらいよ」とイライラして、情けない気持ちにもなって、うまく対応ができないでいる。
そして、私なんぞは、母は一体いつまで生きるつもりなんだろう、などと不思議に思ってしまう。
案外、コロナウィルスも怖がっているし、まだ死にたくない気持ちが満々の様子だ。
けれど、この後一体何のために生きるっていうのだろうか。これからやりたいこともないだろうし、あったとしたって、もう旅行だってディズニーランドだって、コンサートだっていくのは難しくなっていく。
それとも、私が連れて行ってくれると期待しているのだろうか。
ー 父の死後、母は遺族として父の軍人恩給を引き継いだ。月額五万二千円。それが七十を過ぎた母が手にした、初めての年金だった。
それでも自分の老後について不安を感じたことはないと思う。何故なら三人の子供、兄二人と私がいたからだ。母は「自分が年を取ったら子供たちが面倒を見てくれる」と信じていた。その信念が揺らいだことは一度もないはずだ ー
私の母も、娘2人が面倒見てくれると信じて疑っていない。私が出戻って、ラッキーだと思っている節すらある。
けれど、私はなんだか寂しくなることもある。
母は、私の幸せを本当に願ってくれたことがあるんだろうか、と。
母には私がいたけれど、私には子どもはないのだ。
私は? ママがいなくなったら、私はどうなるの?、と。
ー 母には最期まで私がいた。それは本当に僥倖だと思っている。でも、私には誰もいない。寂しい気持ちはあるが、後悔はしていない。これは誰でもない、私自身が選び取った道なのだ ー
山口氏と違うのは、私はきっと母を最後まで看取る覚悟がないということ。
山口氏は自宅で自分で介護しているのだが、私にはそこまではできないだろう。
どのくらいこのままいけるのか、どこで施設に入れるのか、本人にどう話すのか…やっぱり簡単ではないように思う。
そして何より、そうしたことへの後悔と罪悪感に襲われそうだ。
いや、そんなことを考えている時点で、もうすでに、後悔が押し寄せてきているような気さえするのだ。
救われるのは、この本には、誰もが山口氏のように最後まで自宅で看取る必要はないという話もあること。
それぞれに、できることをやればいいのでは?という提案もあることだ。
私は私のうちの介護を私なりに悩んでやるしかないんだろうな、と。
ただ、その覚悟だけはできた気がする。