マジックリアリズムという文学ジャンルがある。
個人的に、好きなジャンルだ。
代表的なのは、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」とか「エレンディラ」、日本でいうと、村上春樹の「海辺のカフカ」や、桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」あたりだろうか。中国や南米文学にも多いと聞く。
だいたいが親子何代にもわたる、長〜い時間の中の断片的な話が連なっていくようなものが多く、実際にあったことのような、伝説のような、なんだかSFみたいな事件なんかも起きたりして、不思議な読後感のものが多い。
映画「春江水暖〜しゅんこうすいだん〜」を観て、そんな文学を思いおこした。
中国の若い監督が作った感性あふれる新感覚の作品だ。
映画は、開発真っ只中にある、中国・フーヤンという都市に暮らす、ある一族の話。
話というより、その家族の人生を数年間切り取ったような映像だ。
まるでドキュメンタリーのようでもあり、同時に詩的でどこか現実感のないファンタジーのようにもみえる。
例えば、こんなシーンがある。
大学を出た優秀な息子は流行りのコートに身を包み、裕福な家からもらった嫁と一緒に建設中のタワマンを見に行っている。近未来のような街に洗練された夫婦の姿が映し出される。
その一方で、彼の両親は、冷たい水で洗った魚を路上で売り、湖上の小さな漁船で夫婦で折り重なるように寝泊まりしている。昔話のような風景がそこには広がる。
そんな、同じ時代に起きているとはとても思えないような情景が、同時進行で淡々とした映像でつづられる。
観ているほうは、時代がうねって時空が歪んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。
また、出演者のほとんどが役者ではなく、監督の親類縁者だというのも、出演者自身が現実と虚構の間を揺れ動いているように見えるのかもしれない。
途中、ものすごく眠くなるロングショットの長回しシーンがある。
一体何を見せられているんだろうと退屈でしょうがないのだが、見終わってみると、妙にそこが忘れられない。
あれは「永遠」だったんじゃないだろうか。
急に立ち現れる「永遠」の時。かつてあったはずなのに、今は失われた時といった…。
(言葉では伝わりそうもない)
そういうシーンが、ポンといきなり置かれたりする。
物語がないわけではないし、ハラハラドキドキも涙も笑いもある。
けれど、どこか飄々と淡々としていて、何があっても、登場人物たちは、時の流れをたゆたう「ただの存在」という感じに見える。
まさに、夢うつつの世界。今の中国を体験するような映画だった。
ちなみにこの映画、ラストから察するに、続編があるのかも?
「北の国から」(?)のように、いつまでも見守っていたい家族になるのかもしれない。