ずっと気になっていたけど、なかなか見れていなかった映画「窮鼠はチーズの夢を見る」をAmazon primeで観た。
腐女子おばさんは震えた。あ、いや、萌えた。
ところで、私の時代には、「萌え」とか「腐女子」とか「BL」といった言葉はなく、こういった作品は単に、美少年もの、とか、ホモセクシャルもの、みたいに呼ばれていたと思う。
少女漫画のジャンルには昔からあって、萩尾望都先生の「トーマの心臓」とか「ポーの一族」、竹宮恵子先生の「風と木の詩」なんかが代表的だ。
もちろん、男女の恋愛マンガの方が主流で、ホモセクシャルマンガはごく一部の漫画家の先生が描いていた。
まさか今のように普通の書店にBL棚ができるなんて思ってもみなかった。
この「窮鼠はチーズの夢を見る」は、「失恋ショコラティエ」などで有名な水城せとな先生の原作で、レディースコミックとして描かれた男性同士の恋愛ものだ。
時代は変わったし、表現もかなりリアルにはなっているけれど、やっぱり耽美な世界であることや、女性嫌悪的なところなど、少女漫画のジャンルとして伝統的なものがあると感じた。
どうして、女子は、BLを愛するのか?
一つは、生々しくないからだろう。
男女の恋愛は、当たり前だが現実に近く、結局は結婚とか生活とかにつながっていく。
けれど、男性同士の恋愛は、どんなに濃厚な関係であっても、妊娠や出産、結婚すら関係がなく、恋愛そのものが描かれる。
さらに、世間からの理解のなさ、本人たち同士の障害(片方はノンケ)もあって、ドラマチックでもある。
その世界はファンタジー。美しく、観るものを酔わせてくれる。
もう一つは、女性嫌悪的であること。
少女は、大人の女への嫌悪感を持っている(と私は思う)。
私なんぞは、女なんて嫌だなー、と思っていたたちである。
男に愛されたいと思いながらも、なんで男に愛されないといけないんだろうと思っていたし、男に愛される女が一番幸せで独りもんの女はなんでオールドミスとか言われちゃうんだろうと思っていた。
男の夢は、冒険王とか天下取るとかなのに、なんで女の夢は、男に愛されて幸せな結婚することなわけ〜?と。
「窮鼠〜」に登場する女性たちも、みんな主人公の恭一と「結婚」することを目的にしているように描かれている。
結局は、「本当に好きなら結婚して」が、男女関係のとどのつまりになってしまう。
そんな男女関係に背を向けることに、女の嫌いな少女たちは共感するのだろう。
「窮鼠〜」はしかし、レディースコミックで大人向けなので、もう少しシビアな内容。
男同士がお互いのことを純粋に思い合い理解し合うというより、お互いのエゴをぶつけ合うような恋愛だ。体の欲望も含めて。
実は、映画と原作マンガのラストシーンは違うのだが、どちらも、主人公・恭一の覚悟のようなものを感じるラストとなっている。
恋愛、欲望、男であること、ゲイではない自分、男を愛すること、それらの矛盾していて同時にあることを引き受ける覚悟。
水城せとな先生はいつも、そういうあざと汚いけど、それに自覚的な、それを覚悟して引き受ける人を描いているとこが、かっこいいな、と思う。
腐女子おばさんとしても、ファンタジーにあんまり逃げ込まずに、自分の人生に向き合わないとなー、と目が醒めた作品だった。
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