まるでシャボン日記

アラフィフぼっち女の悲喜こもごも

アラフィフ、セカンドハウスはシェルターか

ステイホーム中に、母との実家暮らしにゆきづまりを感じて、湘南にセカンドハウスを借りた。

前にも書いたのだが、母との生活を維持しつつ、自分の空間と場所が欲しかったからだ。

 

しかし、そのことを、なかなか母には言い出せなかった。

家を出ていくのかと疑って、母が不安に思うだろうと思ったからだ。

けれど、いつまでも黙っていられず、とうとう白状した。

「コロナで旅行にも行かれないし、別荘が欲しくなったから、湘南に部屋を借りた」と。

出ていくわけではなく、あくまでも「別荘」だと伝えた。

 

母は、「またすぐ旅行に行けるようになるわよ。お金もったいないじゃない」と、やはりいい顔をしなかった。

基本的には、自分から離れていきそうで、不安なんだろうと思う。

 

75歳を過ぎ、一人暮らしは厳しいだろうし、不安になる気持ちはわかる。

けれど、私はやはり重いものを感じてしまった。

母を見捨てるつもりはなくても、依存されるのはやはり苦しい。

 

しばらくして、母は、「鬱っぽい」と言いはじめた。

眠れなくて、不安で、何もやる気が起きず、好きだった料理も苦痛になった、と。

 

重い。

私は、ひたすら重かった。

本来は、かわいそう、辛そう、なんとかしてあげたい、と思うべきなんだろうけれど。

それよりも、重い、と。

心底、重いと感じてしまっていた。

 

心療内科にかかっているというので、次の診察には付き添った。

医者は眠剤をくれるだけだった。

特に、認知症や鬱を疑っている風でもなかったが、不安があるということで、やや鬱傾向かもしれないね、との診断だった。

 

母は、眠剤で眠れるようにはなったようだったし、友人や親戚との電話は頻繁にして、ワクチンを打ってからはランチにも出かけるようになった。

それでも、何もする気が起きない、と言って、とにかく料理をしなくなった。

気晴らしにと、私は一緒に出かけて外でご飯を食べることが多くなった。

 

それもあって、セカンドハウスにまだ一度も泊まることができていない。

休みの日の日中はセカンドハウスに行き、家作りをしているが、夜には帰っている。

母を不安にさせないためだ。

けれど、自分のフラストレーションが溜まってきているのは否めない。

 

なんとなく、「共倒れ」という言葉が頭をよぎる。

こうして、人は、次第に追い詰まっていくのかもしれない。

 

そんな中で、同僚の女性が結婚するという話を聞いた。

私とそんなに歳は変わらない、40代の女性だ。

彼女も、母親との二人暮らしだったので、

「お母様、寂しがってない?」と聞いたところ、

「このままあなたが結婚しなかったら死んでも死にきれないって言っていたので、安心したみたいです」との返事だった。

うちとは正反対だ。

 

母親の愛ってなんなんだろう?

私は、依存されているだけで、やっぱり愛されてはいないんだろう。

 

それでも私は、おとなしく、このまま母の家で、母の介護をして、人生終わりなんだろうか。

母は、それでいいと思っているのだろうか。

 

ちょっと追い詰まっている。

なんとか負の感情にとらわれないように、セカンドハウスだけは死守しようと思っている。

セカンドハウスが、私のシェルターになるかもしれないな、と思うからだ。

 

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日暮れまで、海を見ていた

 

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