一つ前の記事、著者ご本人様からリツイートしていただいたこともあり、自分ブログ史上最高に読んでいただきました。
つたない感想でお恥ずかしいけど、嬉しいです。
ところで、Amazonをみると、この本のレビュー、荒れているのですね、、、ビックリしました。
そうなんですね、私なんか共感しかなかったですけどね、、、。
レビューには、「いいわけばっかり」「人のせいにしてばっかり」というお叱りが多いようだ。あとは、「恵まれたエリートですよね」というもの。
そういえば、私も、リアルで笛美さんのような話をすると、叱られることが多かったように思う。
コロナ前に会った友人には、罵倒すらされた。
彼女は、ある新聞社系出版社のもはやお偉いさん。
飲んだ時に、「仕事がうまくいってるみたいでよかったね」と彼女に言われ、私は
「仕事をいくら頑張っても、成果が出ても、いつまでたっても私は幸せじゃない。
これ以上どう頑張ったら幸せな気持ちになれるのかわからないし、もう子どももできないし、彼氏だっていないし、これ以上生きてる意味ない気がする。
いや、もうむしろ死にたいかも」
と、思わず吐露したのだった。友達だと思っていたから。
すると、いきなりマジギレされた。
「あのねえ、私だって今は結婚してるけど、いつ離婚するかなんてわかんないんだよ」
「あんたみたいに恵まれた環境で働いている人いないよ」
「ボランティアでもなんでも、いくらでもやることあるでしょ」
「もっと世の中に目を向けて。苦しんでいる人はいくらでもいる」
「あんたは自分のことしか考えてない」
「子どもかっ」
いや、真っ当だとは思うよ。
だけど、そんなことは全部わかってるんですよ。
わかってて、言ってるんです。
わかってて、それでも苦しんだよお。
その夜は、「そうだよね、そうだね、もっと頑張るよ」と棒読みに返事をして、タクシーで帰るのが精一杯だった。
あとでこの話を共通の知人に話したら、
「なんであんな勝ち組にそんな話するのよ。理解できるわけないじゃん」
と一蹴された。
そうなのだ。
彼女はザ・勝ち組なのだ。
そう、この男社会の中でサバイブした勝ち組。
男性ばかりの新聞社系の会社で、おじさん上司を、裏では「使えない」とののしりながらも手玉に取り、酒好きを口実にデートめいたこともしながら、男社会を渡り歩いている。
家柄の良い男と結婚して、夫の前では「天然ボケな私」と化して甘える。かと思えば、正月ともなれば、彼の実家へいの一番に駆けつけてエプロンをつけ、親戚の誰よりもきっちり働いてみせる。義実家では嫁の鏡だと思われているらしい。
子どもは作らないと宣言しているけれど、夫には納得させている(子どもだけは無理、という判断だったのかな?)。
そして、彼女には、いつだって彼氏がいて、時々会っては精神の安定を保ってくれていると言う・・・。
全てを成立させる、彼女の努力はすざまじい。
自分が手にしたいものを全て手に入れるには、ここまでしないといけないのですね。
そりゃ、甘ったれに見えるでしょうね、私なんざ。
けど、ここまでやらないと勝てないゲームってなに?
例えば、男より強い女というのももちろんいる。
オリンピックの重量挙げの女子選手は、一般の男性よりも重いものを持てるだろう。
だけど、努力さえすれば、全ての女性が男性並みに重いものを持てるようになれるというわけではない。
(ちなみに先の彼女は、女も男よりも強くなれる、オリンピックも男女分けなくていい、そのうち男も出産するようになる、とも言っていた・・・まじ?)
つまり、男社会で女も欲しいものを手に入れることは可能だけど、そこには、才能も力量も、そして努力も、人並みはずれたものが必要になる、ってことなのだ。
それが、男女差別でなくてなんなんだ?
男が普通に手にできるものを、女はその何十倍もの努力をしないと手に入れることができない。
そのことに、うんざりして疲弊する。
努力が足りないと言われるけど、本当にそうなんだろうか?
わかってもらうのは、なかなか難しいことだし、
自分でも、どこまで努力したものなのか、わからなくなる。
(やっぱり重量挙げの選手にはなれないと思うんです・・・)。
でもって、努力したらしたで、「エリートだよね」とか言われてしまうなら、
ますますわからない。
もっと強くなるべきなの? それとももっと弱くなるべきなの?
悲鳴をあげてもいいですか?
と、私は言いたいし、それが私のフェミニズム宣言なのかもしれない。
最近、買ってよかったもの。
ヒールを履かなくても良くなったのは、いい時代だ♪
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