この夏は、柳美里さんの山手線シリーズを読んでいる。
『JR上野駅公園口』は、全米図書賞をとった話題の書だ。
平成天皇と同じ年に、福島で生まれ、高度成長期に出稼ぎをしながら生きてきたけれど、悲しい出来事が積み重なり、東日本大震災を経て、ついに、上野公園でホームレスとなった男の話だ。
柳美里さんは、上野の路上生活者の方たちに取材するなどして、綿密に人物像を作り上げている。
その主人公を通して、路上に生きる人たちの「生い立ち」や「状況」、こうなった「理由」や今の「心の内」が、私たちの前にくっきりと浮き立ってくる。
その人の一つの人生として。
彼らは、公園から、執拗に追い出される。
ダンボールの家も失って、雨の中をさまよう時の、寒さ、情けなさ、恐怖、諦め、無気力・・・
行き場のないことの悲惨さが、これでもかと描かれていく。
重く、悲しい作品だけれど、私たちが見落としている人を、見て見ぬ振りをしている存在があることを教えてくれる。
それも、外側からの視点ではなく、人物の内側から教えてくれる。
これこそが、小説の醍醐味というものだと思わされる。
そして、小説家の目は、ひたすら優しく寄り添っている。
心を揺さぶられる作品だった。
山手線シリーズは、この他に、品川、五反田、高田馬場、と、それぞれ違う駅の違う主人公による連作だ。
今読み終わったのは、『JR品川高輪口』。
こちらはまた変わって、女子高生が主人公。
彼女は、ネット掲示板の自殺スレのスレ主で、集団自殺を呼びかけている。
出版時には『自殺の国』というタイトルだったが、この度の受賞により、原題に戻しての文庫化となったそう。
(出版社というやつは、現金なのです・・・本当に申し訳ない)。
よくネットでは、自殺をしようと思いつめるような女性のことを「メンヘラ女」などと呼ぶ。
けれど、彼女の視点からみれば、「メンヘラ」という一括りの呼称では収まりきれない、「事情」がある。
確かに、心が弱い、といってしまえばそれまでだ。
けれど、そう言える人は、心が折れることのない環境にいただけということもある。
それは単なるラッキーだ。しかもそのラッキーだって、「今のところ」だ。
いつ自分にも、アンラッキーは降りかかるかわからない。
アンラッキーを、まるで自己責任のようにいうのは、神でもない限り無理なのではないだろうか。
若い頃は、柳美里さんは自分自身と向き合って、自分の体験と心をさらけ出し、えぐるような作品を書かれていたけれど、今は、自分じゃない誰かの心を、まるで自分のことのように深く分け入って知ろうとするスタイルで書いているのだなと感じた。
ヒリヒリと痛くて重苦しい作品であることには変わりないけど、読後感は少し変わって、柳さんは本当に優しい人なんだな、とどこかホッとするようなものになっていたように思う。
さて、ちなみに某メンタリストさんが炎上しているという。
彼が、この山手線シリーズを読んでくれたらな。
わかってもらえるだろうか。
☆参加中です