舞台『ピサロ』を観た。
渡辺謙さんと宮沢氷魚さんという豪華なキャストによる伝説の舞台だ。
素晴らしいだろうとは思っていたが、ここまでとは!
特に、宮沢氷魚さんの美しさは衝撃的だった。
舞台の主題は、スペイン人によるインカ帝国征服。
スペインの年老いた将軍を渡辺謙さんが、インカ帝国の若き王様を宮沢氷魚さんが演じている。
キリスト教の西洋的価値観と太陽神を崇めるインカの価値観、年老いた軍人と若かりし王様、その対比が描かれていく。
この舞台の中で、個人的に最も印象的だったシーンはこれだ。
ピサロ(渡辺謙)とインカ王(宮沢氷魚)は共に私生児として生まれているのだが、そのことを二人がこんな風に話し合う(セリフは記憶のもの)。
ピサロ「俺は私生児だ。お前だって、兄の方が正統な生まれだったんじゃないのか」
インカ王「それはそうだ」
ピサロ「なぜお前は王になれたのだ」
インカ王「こうした地位になるものは、そうした生まれなのだ」
このインカ王のセリフに度肝を抜かれた。
そうきたか、と。
ピサロは、自分が私生児であることに苦しんできたのに、あっさりと、それ(私生児であること)こそが自分の地位にふさわしいのだと言うインカ王。
これは、本当に舞台で見ると感じるのだが、確かに、私生児の方がむしろ王に相応しい、とすんなり思わされる。
それくらい、宮沢氷魚の孤高なカリスマが際立っていて、その言葉に説得力があるのだ。
価値観の違いというより、真実が揺らぐような感覚だった。
私生児は育ちが悪い、正統ではない、という通念は真実なのか?と。
そして、それを聞いたピサロ渡辺謙のハッとしたような、それでいて安らいだような表情。
ピサロはインカ王の言葉を聞いて、長年苦しめられていた自分への偏見や自分自身を卑下する感情から解放されたのではないだろうか。
舞台は、結論を出してはいない。
何かを断罪したりもしていない。
ただ、とても緊張感のある、切迫したものを感じる、迫力のある舞台だった。
それは、今この時に、このことを伝えたいという作り手たちの熱気だったのだと思う。
コロナ禍に、不要不急ではないかとさえいわれたエンターテイメント。
けれど、生きていくのには考えることは必要だし、急でさえあるかもしれない。
どんなときも考えるのを止めてはいけない。
世界について考え続けていかなければ、ただ欲望にまみれた無為な人生を送ることになってしまう。
こちらの記事の渡辺謙さんの言葉にもそう感じた。
心がキリリと起立させられるような舞台だった。
コロナ禍にこそ、観てよかった。
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